昭和48年7月11日 夜のご理解





 ( ? )いうて、えー三、四回参ってくるんですけれども、息子さんが寿司屋の職人を、お店を持ちたいけども、資金がない。えーそれでもあのお願いをさせて頂いておったら、原鶴の、今まで、えーお寿司屋さんをしておった人がある都合でやめて、そこを借りるのにちょっとまとまった金を、少しばかりのまとまった金をすればそこでお店ができると、やってみないかと言われるというおかげを頂いたと。それで、私はとにかくそのお寿司屋を始めるか始めないか、初めていいか悪いかをまずお伺いしてからかからなければ、したいからだけではいけん、そこからご神意を伺うて、させて頂いてもよかろうということであった。そしたら、んーえーなかなか、その息子さん本人はまだ参ってきませんけれども、非常に人物がいいらしくて、向こうの主人になる人が、その人と何回かあっておるうちに、あなたならばその、まっくらぎんはいらんから、まあ月々払っていってもらったらよいからというようなおかげを頂いたからいよいよ、まあ開店の運びになりましたというて今日お礼に出てきました。んーちょうどそこにあの、高橋さんが二度目のお参りをしてみえて、なん、高橋ところにしばらく職人さんでおった人で、それはなかなかよい職人だそうですけれどもやっぱ自分で始めたいという気があるもんじゃからあっちこっち研究したり、なんかして、あーしとったらしいんですけどね。ほれで、んーあとの、またことをよろしくお願いしますというから、神様にお許しを頂いて、のことだから後の信心がね、続く限り後のまた繁盛の方にもつながるだろうというて、私は今日申しましたことですけれども。んーあー本当に夢にも思わないようなおかげが、順調よう、飛び石ずたいをつとうていくように一つひとつこう成就していっておる。今日はそれで寿司屋の、屋号も頂きたいというて今日はあの屋号も頂いて帰りました。えー寿司なりというお寿司屋さんが、今度原鶴にできるはずですけれども。んー。

 神様があの、こう、お許しを下さったら、そこから神様のいろんな働きというものは、もう切れ間なしにあるはずだから、そのあとあとの信心が続けられる限り、いー始めることになった。そしたらその、少しばかりのお金で始められるからやってみないかという人がでてきた、ところがその少しばかりの金も実はできない。いろいろおー話しておるうちに、もうあんたならばもうお金はいらんからということであの店が始められるようになった。おかげで、えー屋号も頂いた。もういよいよ、だから、んー、九月あたりの少し涼しゅうなってから、時期になって始めようと思いますというから、そういうあの、時期がよいの悪いのでなくて、もう始められるようになったらそこからでも始めれと。そう私が申しとりましたが、そんなら今日はあの、お名前も屋号も頂きたいというて今日は頂いて帰った。それでまたあとのおかげのことを願うていったら、もう後の信心が続いていけば、後のうえのいうならば繁盛につながるおかげもまた頂けれるというてまた申しましたですけれどもね、私は信心させて頂いてのおかげというものは、そういうようなもんだとこう思うですね。お参りをしてくるたんびんに、いーいうならば合楽に対する信心観というものがだんだん強うなってくる。なるほど親先生がおっしゃって頂いたとおりだと、二、三日前には東京にいっておる二番目の息子さんというのが、参ってきた。そして母親からとにかくこちらに帰ったたんびんでもよいから、合楽にお参りせよといわれたから参ってきたというて参ってきておりましたが。あの、神様のおかげを次々と頂いていくということは、その、お参りをしておる教会、お取次ぎを頂いておる先生に対する、その信念、信ずる心というものがそのつどつどにね、こうあの、しっかりしたものになってきておるということ。それもやっぱり平行していかなきゃいけない、いわゆる信心が続いて、行く限りということは、ただ信心をしておればということではない。つどつどに信心が進んで続いていけばということである。その辺のところをお互いが一つ分からなきゃいけないと思うですね、どうぞ。

池尻てるか